初盆

今日は、自分の、福岡でも、愛するまちの一つ、姪浜の話をしようとおもいます。


自分には、叔母がいて、自分にとっても、親戚や、うちの家族にとっても、存在の大きかった叔母がいて、昨年亡くなったのですが、叔母の死というのが、自分にとっては、わりとおおきな出来事で、そのことについては、話していたら、一晩中かかる話なので、はぶきますが、叔母は、独身で子供がいないまま、まあまあ高齢で他界したため、お通夜、葬式、初盆と、自分は、お手伝いを、少し、しまして、人の死の際に、する、儀式について、あれこれ、体験するのを、はじめて、ほんの少しですが、大変だなぁとおもいつつ、手伝っているのですが、日本の、というか、福岡の、というか、浄土宗の、というか、自分の父方の家のと、いうか、そのね、とても、いい儀式だとおもうんですよね。

お通夜とか、お葬式とか、初盆という儀式が、すごく、人の生死の尊厳を実感することが、おおいんです。

すごく、その形式というのに、様式の美をかんじるというか、人間性と人の生死の中に、人の美意識をすごく感じるんです。


今日の初盆は、祭壇があり、初盆用の提灯を、祭壇横に、つるして、灯していたのですが、初盆用の提灯は、もう、初盆のときしか使わないということで、福岡、博多方面の風習なのではということでした。

叔母の戒名は、すごい、本人に似合う戒名を、お寺の人がつけていてくれてまして、自分自身は、死者に戒名がつくことを、正直、今までばかにしていたのですが、叔母の死以降、戒名にたいする考え方がかわりまして、やはり、死者の家族のためでもあるとおもうんです。今は。

叔母の兄弟が、初盆のために、用意した、提灯を今日、はじめてみたのですが、提灯を買うまでの色々な話をきいた後、今日はじめてみた、提灯をみて、びっくりしたんです。実は。もうね、美しい提灯なんです。

叔母の戒名だけをいれた提灯が、長細い、白い提灯なんですが、シンプルで美しいんですが、じっと、綺麗だなぁ、とおもって、みていたら、綺麗な透かし模様が、よくみないとみえないくらい、美しい模様がはいっているのです。

今日みた、仏具が、初盆のためのものもあるし、先祖代々の仏具があるのですが、その使用方法や、初盆の様式をみて、その美しさに、心動かされました。

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自分の、祖先が、住んだまち、姪浜は、神社や、仏閣が、多く、美しいところなんですが、実は、お盆の行事がちゃんと、びしっとしていて、大きな行事なんです。

とても、今、珍しい風習だとおもいますが、お盆の、真っ最中に、花火が打ち上がります。(というか、もともと、夏の、打ち上げ花火は、私、そのためにあると自分自身は、おもっていて、夏の花火は、やはり、私は、美しいとおもうんです。)

私、何で、姪浜の、夏のお盆は、こんなに、行事をするのか、不思議でしかたがなかったんですが、自分の祖先が住んだ、姪の浜の地区は、実は、漁港や、漁師町といいますか、やはり、海のまちなんです。

死者を弔うことが、水難事故防止の、意味もあるので、しっかりお盆をするというのをきいて、私、しみじみ、はっとしちゃつたんですよ。

そういえば、夏に、子供の頃、父の里に里帰りするたび、姪の浜は、海のまちなんですが、帰省するたびに、今は亡き、祖母から、海にはいっては絶対にいけないよ、と言われて、はいってはいけない、海をみながら、お盆を毎年すごしていて、それは、海の地獄の釜がひらくし、死者が海に帰るので、お盆の海に、絶対に泳ぐことも、はいっても、いけないと言われて、夏をすごしていたのです。

今でも、姪の浜のお盆には、初盆の人は船の飾りを、まぁ、昔は、精霊流しみたいに、海に、はなつ習慣があるのですが、今でも、もう、海に直接流せないのですか、私達は、さすがにその、船は、しなかったのですが、初盆の船を用意した他の初盆の家の人はいて、私は、その船の意味が、今年、子供の頃からみていたのですが、やっと、意味がわかって、色々、本当、わかったんです。その瞬間。


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ちょっとみえにくいのですが、お盆の行事をする漁港に、お経があがったり(録音ではありますがちゃんとしています。)それぞれの家からもってきた、お盆の、食べ物をいれた、植物でつくった、南無阿弥陀仏の、札をさした船の、仏具が、すてるというか、まぁ、供えられていくのですが、今年ほど、今までと、ちがって、みえたことはなかったのですが、実は毎年こう知らずにしていたということなんです。


お盆の行事を終えて、あぁ終わったな、とおもって、漁港をでるときに、みた、漁港をでるときに、みた、文字と書体がすごすぎて、私はは、衝撃をうけました。

字をみて、ぎくっと、したのは、実は、はじめての体験かもしれません。


それは、どちらかというと、荒々しい書体で出口と、書かれておりました。



自分自身は、やはり、浄土宗の信仰があつくてよかったな、と、私自身は、今日は、自分自身はおもったりしましたね。


きょうは色々、思い出深い一日でした。